船場は大阪市中央区の地域名で大阪市の中心業務地区です。
船場のはじまりは豊臣秀吉の時代までさかのぼります。
現在は歴史的な部分と現代的な部分を併せ持つ魅力的な場所になりました。
そんな船場の歴史を今回はご紹介したいと思います。
大阪市の中心業務地区:商人の街・船場
船場が栄えたきっかけになったのは秀吉が大阪城を築くことになったからです。
築城にともない大勢の家臣や武士たちが集まりました。
そこで武器から食料や生活用品が必要となり、秀吉は京都や伏見から商業者を強制的に船場周辺に住まわせ城下町の整備を進めたのです。
その後船宿・料亭・両替商・呉服店・金物やなどが次々に誕生し栄え始め、船場は商人の街となりました。
大阪弁は早口で漫才のイメージが強いかと思いますが、上品で柔らかな印象の方言が船場にはあり「船場言葉」と言われています。
船場は客に対して丁寧な言葉を使っていました。
大阪の舞台などで「いとさんは、別嬪さんやさかいなあ」などのセリフがありますが、これも船場言葉です。
「いとさん」は愛しい人で商家の娘さんを指します。
いとさんは長女に使われることが多く、二女は「なかんちゃん」末娘は「こいさん」と呼ばれていました。
船場商人の思想は経営の神様と言われている松下幸之助も影響を受けていました。
始末・才覚・算用・奉公・体面・分限です。始末・才覚・算用だけできれば商売はできますが、商売を続けようとすれば奉公・体面・分限も必要となります。
始末は計画性を持ち無駄をなくす、才覚は独自でアイデアを編み出す、算用は採算を見込むということです。
そして、奉公は幕府の掟を守る、体面は身分が低くても商人としての誇りを捨てない、分限とは、器の大きさのことです。
一生懸命働き、世の人の為に尽くすことを「商道」と松下幸之助は記しています。
大阪市の中心業務地区:江戸時代の船場の歴史
大阪冬の陣・夏の陣で大阪城とその城下町は破滅状態になりましたが江戸幕府によって、再建されます。
この際、税の免除、商業の規制緩和、関所の廃止などで商業振興策をはかります。
その結果米などの物資が集まるようになり、天下の台所と呼ばれるようになりました。
江戸時代の船場の主な出来事は、住友創業・鴻池善衛門両替商創業・松平忠明の市街地整備・堀川の開削・適塾開設などがあります。
まとめ
今回は大阪の中心、船場の歴史をご紹介しました。
近年では商業の街というだけあって、繊維問屋や商社・証券会社・銀行が集中して過密が問題化し問屋街の郊外移転などが行われていました。
こうして歴史を振り返ると改めてこの土地の良さに気付かされます。
また、船場商人の思想である始末・才覚・算用・奉公・体面・分限は語り継ぎたいですね。
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